みなさまこんにちは!リンゴのりちゃんです。秋本番、果物狩り本番の季節ですねー!
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

いまでこそ様々なフルーツが、お店やネットで簡単に手に入る時代ですが、人類はいつから果物を栽培するようになったと思いますか?
そこで今回は、果樹栽培の歴史についてご紹介したいと思います。
自然に実った果樹を採ったり、動物を狩猟したりして暮らしていた人類が、作物の栽培や家畜の飼育を始めたのが紀元前9000年頃といわれています。
これが最初にパレスチナの地でおこったといわれてます。(スゴイぞ、パレスチナ!)
農業の主である穀物が確立されたあとに、果樹の栽培が始まるんですが、紀元前4000年頃にこれもパレスチナで始まったといわれています。
日本だと縄文時代ですね。 卑弥呼もまだ生まれていません。
この頃に栽培されていたのは、オリーブ、ブドウ、イチジク、ザクロ等です。
こうして栽培化された果樹が、民族の大移動によって、ヨーロッパや中国の広範囲に広がり、何世紀にもわたる改良を重ねて、栽培技術が確立されていきました。
大海賊時代には、、あ、それは「ワンピース」でしたね。
もとい大航海時代(15世紀後半〜17世紀)に入ると、ヨーロッパ諸国によって南北アメリカ、アジア、アフリカ等の土地が植民地として開拓され、世界の往来が激しくなると様々な果樹がそれぞれの地にもたらされるようになりました。
そうして現在では、世界全体で8億6,000万トンもの果物を生産しています。
スゴイ量です。ちなみにこの数字は、海に住む魚類の総生物量とほぼ同じなんです。

それじゃあ日本はどうか。
縄文時代や弥生時代の遺跡から、シイ、クリ、ドングリ等の種が多く出土していて、太古から野生のものを採集して食べて暮らしていました。
実際に果樹が栽培されるようになったのは、奈良時代の頃になってからです。
朝廷へ献上するために、宮廷の果樹園で栽培していたという記録が残っています。
そうはいっても、特権階級の人間が食するためだけに栽培されていて、栽培した果物を庶民が食べられるようになったのは、ずっと後の江戸時代になってからなんです。
戦乱の世が治まり、経済が発達して各地で果樹栽培がされるようになりました。
山梨のブドウ、和歌山のミカン、奈良県のカキなどの名産品が誕生して、やっと庶民が食べられるようになったんです。
明治時代を迎えると、欧米諸国からリンゴ、西洋ナシ、サクランボなどの新しい果樹が入ってきました。
明治の末には元々日本にあったカキ、クリ、ミカン等が、主な果物でしたが、大正から昭和にかけて、海外からの導入果樹が盛んになり、敗戦前の1942年には、リンゴがカキ以上に生産されるようになりました。
生産量は、ミカンに次ぐ第2位です!
第二次世界大戦が終わり、戦後の荒廃から立ち上がった日本は、高度経済成長を経て工業立国となり、工業製品を輸出するのと引き換えに農産物の輸入をどんどんしていきます。
そうしてバナナ、レモン、オレンジなどの輸入の自由化が始まり、昭和30年代初頭には果物の自給率が100%でしたが、現在は約40%にまで下がっています。
食の多様化により、果物離れが進んでいる昨今ですが、いま一度果物の魅力をみなさまにお伝えし、生産者と消費者の相互の行いによって、自給率の向上に少しでも寄与できたらいいなと思います。

果物って、江戸時代には「水菓子」っ呼ばれていたでござる。

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このブログを書いた人
則宗 智毅